お茶サービスにおける考察

ytoma2008-10-17

東名で山中湖へ向かう途中のサービスエリアにて。
無料のお茶サービスがある。その隣には、コーヒーやジュースの自動販売機が並ぶ。お茶を飲みながら考えた。なぜ人は無料のお茶があっても自販機でわざわざお金を使おうとするのか?

お茶だけでも生理的な欲求を満たせるが、さらに心も満たされたいということだろうか。単なるお茶+アルファの価値を求める、ということなんだろう。+αという付加価値とはなんだろう?
自販機は、好きな種類の飲み物を選べる。それらは営業努力によりそこそこ香りも良く美味しさを演出している。砂糖やクリームも付けられる。欲求によっては増量も出来る・・等々。お金を出すことによって自由度、裁量権を与えられ、付加価値への夢を持つことが出来る(ちょっと大袈裟)。つまり心の豊かさ,楽しさ、エンタテイメント性があるということか。そしてその対価としてのお金を払う。

さて翻って、僕がストリートをやっている時の投げ銭について。
音楽を勝手に聴くことは基本的には無料。結果として聴いてくれた人に値踏みされる。そしてごくごく少数の人が対価を考えてくれる。演奏する前に、音楽の価値を期待して、投げ銭してくれることはあり得ない。人の心をどの程度豊かに出来たか?が結果として評価され、なにがしかを頂戴出来る、わけだ。
まあ、色んな人がいるので、中には「めぐんであげる」と言った感のある場合もあるけど・・何れにしてもありがとうございます!
お茶でも音楽でも、心を豊かにするエンタテインメント性は、人の心にとって、人の生活にとって、お金を払う以上に必須なんだろう。人間は心の生き物。
そんな豊かさを日常的に享受出来る、今の平和な日本は本当に恵まれていると思う。お茶サービスもありがたい。
僕は、自販機でコーヒーなど買う時、必ず砂糖もミルクも入れる。自分にその欲求があろうがなかろうが、お金を払う以上そうしないとなんだか損した気分になる。まあ、増量まではしないが・・
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