シャリコマ

ytoma2008-09-16

日本美術の代表的公募展「二科展」に初めて行ってみた。六本木にある真新しい国立新美術館のとてつもなく広い会場に、絵画、彫刻、写真、デザインなど様々な作品が出展され、その数、数千点、エネルギーに満ちあふれた大規模な美術展である。気が遠くなるようなその数に圧倒される中、急ぎ足でとにかく見て回った。
さて、その沢山の作品の中で、ざっくりと一番印象に残った作品は・・。
絵画でも魅力的な作品はあるが、安易な分かり易さ、でいくと、リアルな“犬”の彫刻。本物そっくり。今にも体を起こし“ワン”と言いそうな表情の犬。僕の単純なアタマにとっては難解な作品が多い中、“そのまんま”の優しそうな犬のそっくりさんに癒された。通りかかる人達も足を止め、写真を撮っている人も多い。皆一瞬にして誘われてしまうようだ。優しさに満ちた表情は、作者の犬への愛情、そして生命への愛おしさが伝わってくるようだ。単純、明快、優しさ、分かり易さで多くの人を瞬時に引きつけ、受け入れられる作品、と言って良いだろうか。
話しは変わるが、その昔、流行っているポピュラー曲をバンドで演奏する時、よく“シャリコマ”をやると言って軽くバカにしていたものだ。ジャズが隆盛を極め、高度なテクニックや難解なコード進行、フレーズなど、玄人好みの難しさが信奉され、ジャズ好きの若者が雑談禁止のジャズ喫茶で、紫煙渦巻く中、コーヒー一杯で何時間もひたすらジャズレコードを聞いていた頃のこと。分かり易い大衆音楽はジャズ好きからは差別されていた。<“シャリコマ”とは“コマーシャル”(商業的)をひっくり返したバンド語で、ジャズ(ズージャ)と区別し、金稼ぎのための堕落した音楽とした差別用語>(バンド語については別の機会に・・)
大衆に迎合しない“芸術”は、エネルギーが凝縮され、そのパワーには凄みもでる。その中で、本物のいのちを持った、一握りの作品や作者が生き残って行く。ジャズも熱狂的に世の中に受け入れられていた時代には、多くのアーティストが取り上げられ、崇められ、隆盛を極めるが、時が過ぎ、皆の頭が冷え、価値観や状況が変わってくると、いわゆる“最後まで食える人”は少なくなってくる。まあ、これはどんな芸術にとってもいつも変わらぬことだし,これからもずっと繰り返されて行くことだろう。
さて、僕にもシャリコマを少々バカにしていた時代があった。でも多くの人に受け入れられる商売の基本=シャリコマ、何が悪い!と年を重ねてようやくなる。今、人に分かり易く、やさしい、心に届き易い音楽をやって行きたい、と願う。その中に自分のアイデンティティーが活かせれば良い。
・・あっ、いつの間にか、音楽の話しで彷徨いだしてしまった。
ところで、この立派な彫刻犬ほどでなくとも、ニセモノの犬達は街中にも結構いる。犬はたとえニセモノでも多くの人に愛されているようだ。番犬代わりにもなるのかな?

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