マウスピース


「こんなマウスピース、ゴミだ!捨ててしまえ!」
と、それほどひどい言われ方ではなかったと思うが、先生の気持ちはこんなもんだったんだろう。
中学3年の時、音楽への熱い想いが湧き起こり、教則本を頼りに自己流でクラリネットを始めた。とりあえず、自分なりに吹きこなせるようにはなったが、基本的なレッスンも受けたいと、クラシック系の先生のところに初めお邪魔した時のこと。
木管系のマウスピースは、音を発生させるための振動板(リード)を固定して、口でくわえて息を吹き込む部分。マウスピースとリードが1セットで、音色はほぼここで決まる。人の声帯のようなところ)

さて、冒頭のお言葉(イメージ)は、マウスピースを一生懸命調整して、自分なりに納得していた僕にとってはショックだった。しかし、クラシック的観点からに見れば、楽器の持つ音域一杯にスムーズに音を出す努力をすべきなのに、こちらは自己流マウスピースでそんなことはおかまいなし。自分が気持ち良い音だけ出ればいい、という考え方。メチャクチャである。まともに音が出ないマウスピースなぞ、やはり“ゴミ”なのだ。
本物のクラリネットは大変高価で簡単には買えなかったので、“トレーナークラリネット”(当時確か800円也!)というオモチャに近い代物を手に入れて始めたため、マウスピースの何たるかが分かっていたなかったこともある。
しかし、僕の場合、いずれにせよ簡単に鳴ってしまう、いわゆる”鳴りの良いマウスピース”は最初から好きでなかったようだ。気合いの入れ具合に応じて、自分のイメージする音が出れば良い、他のことはどうでもいい、という考え。楽器の基本としてはもとより、譜面などに忠実であるべき音楽ジャンルなどでは、全く通用しない。僕の先生は、クラシックを基本に幅広く通用するようにと、指導する側として至極当り前のことを言われたのだが、僕は「なんでダメなの?・・」と、悲しかった。僕が大切にしているマウスピースを「捨てろ!」だって・・
その後、ゴミと呼ばれないマウスピースを先生と一緒にセレクト、平均点は確保して基本的なことは身につけてさせて頂いたところで、レッスン受講は終了してしまった。数ヶ月持っただろうか?先生には少々申し訳ないことをした。
楽器を神妙に習った体験はその時だけ。そして、アッ!という間に自己流に戻り、現在に至る。
現在はゴミではない程度のマウスピースと、ギリギリの調整で一歩間違うと完全なゴミとなりそうなリードで、楽器を奏でている。
心(気合い)の入らないない音は絶対に出さない!それで音が出なくても、それはそれで結構!とガンコである。従っていわゆるプロとしての仕事は・・全くない。

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